奥州箱館之図

1862年頃(文久2年頃)、額装(絹本着色)、58.7×153.6cm

幕末開港期の箱館港を眺めることができる図。
函館山の麓の森林中央に囲まれた箱館奉行所(箱館御役所)は、現在の元町公園にあったが、海上から外国軍艦の標的にされないようにするため1864年(元治元年・文久4年)に五稜郭に移転。移転先の五稜郭内の箱館奉行所は天守構造で描かれている。なお、右手の岬に描かれているのは同時期に建設中だった弁天台場(現在の函館どっく)である。
図中のロシア国旗が掲げられている場所には、初代ロシア領事のゴシケーヴィチが1858年(安政5年)にロシア領事館と付属聖堂「函館ハリストス正教会復活聖堂」を建立した。その隣(現在の遺愛幼稚園)には「イキリス」と記載されており、1863年(文久3年)にイギリス領事館が建立された。
また、大町海岸を埋め立てて竣工された「外国人居留地」が確認できる。1860年(万延元・安政7年)にその場所に外国人全員を居住させようとした箱館奉行所であったが、イギリス人商人ポーターらがこれに反発したため、非公式ながら西部地区全体を「外国人居留地」と表明せざるを得なかったと言われている。

(市立函館博物館所蔵)

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